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更新日:2018年12月3日

(21)熱帯低気圧豪雨

(21)熱帯低気圧豪雨 (平成11年8月14日~15日)

被害地域
 県内全域
被害状況
 人的被害(人):死者1
 住家被害(棟):半壊4/一部損壊2/床上浸水113/床下浸水725

 地域一体の水防活動

佐久市 T.Tさん(当時 62歳・区長)

 

 前日からの雨で地区を流れる田子川の水位が上昇したため、14日の昼12時30分に、常和南区、常和北区全域に対して、水害に対する警戒放送を流しました。それと同時に常和区の自主防災会役員と消防団員を非常招集し、午後1時30分頃から山田池、常和上の池、常和下池などのため池と、田子川、さらに道路の危険か所への監視にまわるなど、警戒態勢をとりました。

 午後3時を過ぎてから田子川の水位が急上昇し、まもなく午後4時頃から最初の床上・床下浸水が3件続けて起こりました。夕方にかけて、消防団のOBや地区の壮年ソフトクラブにも応援を要請して警戒を強めることにしました。

 午後8時頃から、川にかかる橋に上流の流木がひっかかって、流れがせきとめられるようになり、市土木課へ流木の除去要請を出しました。ところが午後9時30分頃、上流で流された橋材が下の永久橋のところでひっかかり、水がせきとめられる形となり、そこから一気に川がはん濫し、公民館近くの3軒が床上浸水の被害を受けました。そこで、団員と自主防災会員が一致協力のもとに土のう積みを始めました。田子川の両岸約300mにわたり、約600袋の土のうを積み、同時に流出した橋の除去作業を行い、浸水の被害を最小限に食い止めようとしました。

 夜11時をまわると、雨足が少しずつ弱まり、川の水かさの増加も止まりつつあるようでしたが、ひき続き徹夜の警戒を続け、この夜は避難者といっしょに集会場で夜を明かしました。

 翌日15日午後3時30分頃には被災された住民の方も、少しずつ通常の生活に戻れるようになり、さらには災害か所の応急措置が一段落ち着いたことなどから、災害対策本部を解散することとしました。

常和地区では南区、北区の全住民を会員とした自主防災会を平成9年に設立しました。この平成11年の災害時も、ここでは人命にかかわる被害がなく、なんとか最小限の被害に止めることができたのも、自主防災会の働きが大きかったと思います。住民に広く防災の意識が浸透していただけでなく、消防団と防災会が一体となってそれぞれの指揮のもと、昼夜を問わず、広い範囲にわたって水防作業を実施し、住民に適切な避難の誘導を行うことができた結果だと考えています。

 また何十年来水害がなかった地域でしたから、復旧に向け、実際何をどう取り組んでよいか困っているところへ、異例の早さで対応にあたっていただいた市をはじめとする行政関係機関の働きも心強いものでした。こんなときは私たちの手ではどうにもならないことも出てきますから、行政のすばやい対応はありがたいものです。災害時には地区の住民、消防団、防災会、行政、そのいずれの力が欠けても、また一部だけが突出しても、復旧は進みません。みんなが一体となって協力していく体制が必要だと、改めて実感させられました。

 

教訓
伝えたいこと

自主防災組織を通じ、日ごろから防災意識が浸透していたので被害が少なかったのでは。
◆行政のすばやい対応が大きな助けになった。

 体験した者にしかわからない災害のつらさ

佐久市 I.Mさん(当時 48歳)

 

 前日からの雨がさらに激しさを増し、14日の昼近くには家の前の田子川の水位は石垣の約半分にまで上昇していました。その日はお盆祭りの予定だったのですが、急きょ準備を中止し、話し合いで災害の警戒態勢に入ることになりました。夕方から川の水かさはどんどん増して、岩だの丸太だのが上流からどんどん流されてきていたので、これはと感じ、避難の準備をしていました。

 夜になり、近くの公民館に家族でいったん避難しました。午後9時半頃、家財道具を取りにもう一度家に戻ると、上流で流された橋が家の近くの橋に引っかかり流れをせき止めてしまい、あっという間に家の中にどす黒い濁流が流れ込んできました。橋の対岸にいた近所の人が「危ない!逃げろ!」と叫んでいたそうですが、まったく聞こえず、慌ててそばにあった毛布などを抱きかかえて避難所に戻ってきました。川からは流れてくる岩同士がぶつかりあって起こる地鳴りとも地響きともつかない「ゴツーン、ゴツーン」という怖ろしい音が一晩中聞こえていました。

 15日朝になっても水はいっこうに引く気配がありませんでした。もともと川だったところには土砂がいっぱいに埋まり、道路だったところに泥水が流れているといったありさまでした。1mを超える大石や丸太があたりにごろごろ散らばっていました。

 お昼近くからようやく雨も小やみになり、濁流の量も減ってきましたが、まだ家の中には入れませんでした。翌日から大型機械でもとの川すじを掘り、水がそこに流れるようになると、ようやく水が引いて家に入ることができました。昔ながらの家で柱などはそのまましっかり残っていましたが、畳が浮き上がってしまったので物があたりに散乱して、使える日用品の類はほとんど残っていませんでした。げた箱などは100mも下流で転がっているのを近所の人が見つけてくれました。畳は昼間乾かしては夜寝床に使い、使っては乾かすといった繰り返しでした。ヘドロのようなくさいにおいもなかなか消えてくれませんでした。

 結局、避難所を出ることができたのは、雨がやんで3日後でした。それからは8月いっぱい毎日かたづけに追われていました。

 災害以来、雨がよく降る日には川や橋が心配で仕事にも行かれない、と漏らしている方も近所にはいるようです。私の家も避難袋を用意したり、貴重品をまとめておくなど日ごろの準備は欠かしていません。よく川を観察していると、護岸工事の影響か、昔より流れが速くなったなあと感じることがあります。川幅もせまく、河床も浅くなってきていますから、大雨でまたいつかこんなことが起きるのではという心配もあります。

 

教訓
伝えたいこと

橋に漂流物がひっかかり流れを止めたために、瞬く間にいっ水してしまった。
◆現在は、避難袋の用意や貴重品のとりまとめなど準備を欠かしていない。

 住民に安心を与える水防対策を

南佐久郡臼田町 K.Mさん(当時 54歳・常会長)

 

 前日から降り続く雨は14日になって滝のような降りになっていましたが、地区を流れる平賀用水が「あふれそうで危険だ」、と知らせを受けたのはその日のお昼頃でした。すぐに町の災害対策本部に連絡したあと、住民に招集をかけて、すでにあふれはじめていた水が団地内へ流れこむのを防ごうと土のう積みを開始しました。ところが午後3時過ぎになって、今度はすぐ近くの雨川が危ないとの知らせが町から入りました。雨川は堤防が住宅よりも高い位置にある危険な川でしたが、見回りをしていた消防団からも本当に決壊するかもしれないといわれ、急いで、まずお年寄りたちを優先して消防車で安全な公民館へ避難させました。残った住民の方にも避難準備をして待機してもらいましたが、その後も雨川の様子が手をつけられなくなってきたので、やはりこのままでは危険だということで、午後7時には地区の役員を残して竜岡団地全体に避難勧告が出されました。

 町との連絡のやりとりは、公民館から私の家に拠点を移すかたちで行っていました。夜8時頃川のすぐ近くに住む人から「雨川の水位が下がりだした」と電話がありました。私たちはほっと胸をなでおろしたのですが、ところがそれは雨川が決壊した知らせだったのです。上流の左右4か所で決壊した川からあっという間に団地に濁流が押し寄せ、まだ家にいた私の家族は避難できなくなってしまいました。なにしろ水の勢いはすさまじく、水位は高いところで床上30cmくらいまできていて、石油のタンクが浮いたり、2トントラックや大型の乗用車が走ることができずに立ち往生するくらいでしたから…。家族にはとにかく二階に上がって少し様子を見るように電話で指示しました。

 9時半から10時をまわると、雨がようやく小降りになり、これで事態は落ち着いてくれるのではと思いました。あとでみなさんと話したのですが、もし深夜まで降り続いたら、団地は全滅の可能性もあったかもしれません。朝になって水が引くと、道路のアスファルトがあちこちめくれあがっていて、水の力のすごさを思い知らされました。

 振り返ると、竜岡団地ができて以来、これまで数回にわたり洪水の危険がありました。そのため団地の住民たちは日ごろから災害に対する備えの気持ちが強く、住民同士の情報もよくつかんでいたので、被害が少ない早い段階でスムーズに避難することができました。災害時は明るいうちに決断することが大事です。もし夜に雨川が決壊したあとなら、あの暗い急流のなか、お年寄りたちを全員無事避難させることができたかどうか、なにより避難に素直に応じていただけたかどうかもわかりません。あれだけの水が出ながら、人命を失うことがなかったのは本当になによりでした。

 このとき決壊した地区は、昔から「ここで川が切れる」といわれ続けてきたところで、実際団地ができるまでは家もなかった湿地帯でした。雨川は現在も復旧工事が行われていますが、大雨の季節を迎える前に、一日も早く完成させてもらい、今後も住民に安心を与える対策をとり続けてほしいと思います。

 

教訓
伝えたいこと

日ごろから災害に備える気持ちがあったため、避難などがスムーズだった。
◆早めの避難で被害を最小限にくいとめることができた。

 

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 地域を守る使命を感じて

南佐久郡臼田町 K.Wさん¥(当時 40歳代・消防団長)

 

 8月13日の夜から東側の山のほうに真っ黒な雲がかかってきたのが、暗闇でもわかるほどでした。そのうちにバケツをひっくり返したような激しい雨が降り出したので、地区の河川の様子がたいへん心配でした。千曲川などにも行って見回りをしましたが、あふれそうな川の姿を目の前に、これはとても危険な状態だと感じました。

 14日の朝9時頃、本部長から「各地で用水の水があふれて、住宅に流れ込んでいくかもしれない。大変な事態だ」との電話連絡を受けました。そこで消防団幹部を緊急招集し、団員には自宅待機命令を出しました。私は町役場に設置された災害対策本部に詰めていましたが、本部には町のあちこちから裏山が危ない、木が倒れた、土手が崩れて水が来そうなので土のうを早く積んでくれなど、救助を求める町民からの電話連絡が鳴り響き、騒然としていました。夜9時を過ぎて雨川が決壊し、竜岡団地などが床上浸水の被害を受けたとの連絡を受けて、団員が分団単位ですばやく現場に向かい、懸命に土のうを積んで被害が広がるのを防ぐなど、その日からは夜を徹して対応にあたりました。

 15日の深夜1時頃になって、ようやく私も危険だと知らされていた自宅の付近に戻ることができましたが、行ってみると家の前の道には泥水が流れ、自宅前にまで土砂が迫ってきていました。近所では車が流された家もありましたが、自分たちの家をそれ以上かえりみることもできないほど、朝まで出動に追われていました。

 15日の午後には雨も小やみになったので、災害状況を把握しておくということで、県の消防防災ヘリコプターで県関係者らと上空から町付近一体の様子を見てまわりました。被害は想像以上に大きなものでした。山や川の護岸が何か所も崩れて、そこから大量の土砂があふれて止まっている様子が見えました。もしあれが一気に流れていたら、下流の住宅や団地はどうなっていただろうと考えただけで怖ろしくなるほどでした。早急な復旧が必要だと改めて感じました。

 このときの災害の傷も癒えないうちに、平成13年9月にも台風による雨で、復旧工事中だった地区の雨川が決壊まであと数十cmというところまで増水しました。消防団は建設業協会の協力も得て、5,000袋以上の大小の土のうで水路をつくり、万一に備えました。幸いにも被害は出ませんでしたが、大雨でも心配のいらない新しい河川が一日も早く完成することは住民全員の願いでもあります。

 私たち消防団は地域のみなさんの人命を守るという重い使命と責任を感じながら、日夜活動しています。各分団が住民の様子を常日ごろから把握し、厚い信頼を得ることで、もしものときにきめ細かい対応ができるのが消防団の長所です。町の中でも地区によって災害に対する認識には差がありますが、私たちの緊急時の出動や日ごろの活動を目にしてもらい、みなさんに防災に対する意識を少しでも持ってほしいと考えています。消防団だけではとても対応できないときは、住民と行政の協力があればこそはじめて災害に立ち向かえるのです。その意味では、復旧工事の早期完成を含めた災害時の行政の迅速な対応を、これからも強く望みたいと考えています。

 

教訓
伝えたいこと

消防団を中心とする防災意識の向上対策がもっと必要。
◆日ごろから地域住民の様子を把握し、消防団としての信頼を得ていくことが大切。

 必死に家を守ろうとして

南佐久郡佐久町 K.Kさん(当時 71歳)、O.Hさん(当時 57歳)

 

(K.Oさん) 朝から降り出した雨はだんだんすごい勢いになり、お昼には今までに見たこともない激しさになっていました。裏の少し高いところに、雨の時だけ水が流れる沢があるのですが、ちょうどカーブするところが私の家の裏にあたり、大雨になるとあふれそうでいつも心配でした。午後から近所で法事があったので、私は支度をし、お父さんに「裏の水路が心配だから、消防の人たちにでも見てもらったほうがいいよ。こんなときは危ないから、お父さんは家にいなくちゃだめだよ」と言い残して出かけました。すでに息子も昼前から消防団の本部に出動していたので、家にはお父さん一人が残っていました。

 あまりの雨の激しさに、お父さんは裏の沢の様子が心配でならなかったのだと思います。水があふれたら大変だ、その前になんとかしようと考えて消防団本部に行ったようです。そこで土のうを準備していたので、12袋トラックで家に持ち帰ったそうです。本部でも「一人で危険な作業をしてはいけないぞ。すぐに俺たちも行くから」と、きつく団員に止められたそうですが、冷静には聞けなかったかもしれません。

 午後3時過ぎ、法事から帰ってきた私もかっぱに着替えて、裏山へ向かいましたが、すでに水の勢いがすごく、水路から今にも飛び出しそうでした。やっとの思いで坂をはいあがり、大声でお父さんを呼びましたが姿は見当たりませんでした。几帳面な性格なのに、乗りつけてあったトラックの荷台の扉は開いたままで、土のうは七つまでしか積んでなかったので、おかしいと思いました。私も水を止めようと、一つ20kgはある土のうを抱えてみましたが、豪雨のなか、急斜面で滑るし作業などとてもできませんでした。ふと見ると水路わきの斜面に人の足が大きくすべった跡があり、もしかしてと急に嫌な予感がし、近所の家に助けを求めてとんでいきました。

 その後もお父さんの姿を見かけた人はなく、夕方から近所の人といっしょに水路から川の付近を捜索してもらいましたが、暗くなっても見つかりません。翌日からも消防団を中心に捜索を続けてもらいましたが、毎日気持ちがおかしくなりそうで、ショックで声も出ず、生きている感じがしませんでした。坂城の千曲川の中州で流された遺体が見つかったのは、事故から5日後のことでした。

 お父さんは一人で危険な土のう積みをして、流されてしまいました。もう少し多くの人数で作業するか、応援がくるまで待っていればこんなことにならなかったかもしれませんが、あの日はみんなそれぞれの家が危険にさらされていました。もう少し雨が降り続けば、この地区全体もどうなったかわかりません。あの水の勢いは、よその人なら怖くてとても近づいていけるものではありませんでした。お父さんは自分の家だからこそ、なんとか守ろうと必死に土のうを積んでいたのだと思いますが、ただ一人でやってしまったことだけが間違いだったのかもしれません。

(O.Hさん) 経験したことのないような豪雨で、町の消防団、住民、みんなの判断が難しかったと思います。この現場にも消防団の応援が行くことになっていたそうですが、ちょうど同じ頃、近くの千曲川に突き当たる支流でも浸水の危険があって、団員はみな、急きょそちらへ向かうことになりました。災害後の議会でも、消防団は地区全般に警戒の目を向けていたのか、指令に問題はなかったのかなどが問われましたが、やはり想像以上の雨で地区の危険を把握しきれなかったようです。誰かがなんとか止められなかったのか、それが残念で仕方ありませんが、災害時の冷静な対応や、一人での行動を慎むことを教訓にしていかなくてはならないと思います。

 

教訓
伝えたいこと

災害時は一人での危険な行動は慎み、冷静な判断のもと集団で作業にあたる。

 真夜中の土手決壊

更埴市 M.Tさん(当時 66歳・区長)

 

 たくさん川は一級河川とはいってもこのあたりは川幅が狭いですし、昔から増水のたび“暴れ川”になってはいました。でも、この災害は悪条件が重なったのです。

 本来なら渇水期に終了しているべき堤防の漏水対策工事が、梅雨の雨季をはさんで水量が増える時期までずれ込み、夏もまだ工事が続行中でした。重機を川原に下ろすため、2か所で土手の上部を1.5m分、土を削っていたわけです。そのうちの1か所が決壊し、生萱区は初めての水害被害を受けました。

 天気予報で雨がくる、それも東北信で大雨になりそうだ、とわかった時点で、業者も急きょ削ったか所に盛り土をして、その上からシートをかけるなど対応はしたのです。だが、やはりその部分がもろくなっているのは当然のこと。水に土をさらわれ、あっと言う間に土手が切れてしまいました。増水した川の勢いの怖さです。今思い出しても、怖ろしい。とにかく、雨が降り出してからというもの、心配で巡回を繰り返していました。腰を落ち着けるなんてできません。たまりかね「区長はじっとしていろ」と声を荒げる人もいましたが、災害から区民の生命と財産を守ることが区長の仕事だ、という使命から、見回りをせずにはいられなかったのです。そのうち日が暮れ、雨が降り続くなか、暗闇に包まれました。そして黙々と土のうづくりが行われ、それらを運び、積み上げる作業も続けられました。

 それにしても真っ暗闇のなか、手に持った懐中電灯のか細い明かりでのぞき込む川は、本当に怖かった。“ゴォ~ゴォ~”となんとも言えない不気味な水音がうなる中、光りが照らされ、濁流が渦巻いて荒れ狂ったように流れていくのが見えるのです。「ああ、この水にのまれたらだめだなあ」と足元がすくむ思いでした。気になる土手も盛り土の場所まで行って、この目で確かめたいと思っても、その濁流の勢いと轟音がみんなの足を止めさせました。避難勧告は真夜中の0時。堤防決壊による水害は、床上・床下浸水のほか、田や畑に水が入る被害は出ましたが、ありがたいことにここでは人的被害はありませんでした。

 翌日から後かたづけが始まりましたが、誠意を尽くしてくださった市の対応には、本当に感謝しています。8月の猛暑のなかでの水害でしたから、衛生問題には特に気をつかいましたが、消毒や廃物処分など、要望どおりに進めていただくことができました。

 送り盆どころではなかった、夏の出来事です。盆のごちそうなど口にする間もなく、毎日おにぎりを食べていましたが、この炊き出しにも頭が下がりました。とにかく、日赤奉仕団の皆さんの迅速かつ的確な働きには驚きました。日ごろからの取り組み方、心構えがまず違っていたのです。この災害を経験し、われわれが一番教訓とすべき点は、いざというときに即実践で役立つマニュアルを作成しておかなければ、ということでした。それまで、割と平穏にきていたので、自衛意識に欠けていたと思うのです。区内の連絡だけでなく、消防団や行政との連携をどうとるか。その協力体制や、日ごろからの防災訓練のあり方など見直して練り直すことが、まず必要となりました。その後完成した「災害マニュアル」は、区の大きな財産になったと思います。

 

教訓
伝えたいこと

区内の連絡網も徹底してなく、災害マニュアルもなかったので混乱した。
◆避難勧告は明るいうちに出さないと避難すること自体が危険。

 更級川の異常増水

更埴市 K.Oさん(当時 65歳・区長)

 

 その日は、夜の7時から区の主催によるカラオケ大会が公民会で開催されました。降り続く雨が気がかりながら、審査員をするため公民会へ出向いたのですが、やはり更級川の増水が気になります。5分もたたないうちに川の見回りに行きました。あとから知ったことですが、このときの東信地方の降水量は観測史上最高だったとのこと。そのうえ、姨捨大池方面も集中豪雨となり、その水がすべて千曲川に流れ込んだのですから、更級川の水位が上がる速度も早かったわけです。異常な増え方に、7時半には第一次緊急出動を指示し、市の本部からの職員の到着を待って、以後行動をともにしました。職員が手にしていたものは、携帯電話です。今でこそ持つ人も多くなりましたが、当時はまだ広くは普及しておらず、そんな折「こんな便利はものはないなあ」と驚きました。市役所内の対策本部との連絡をはじめ、各地の増水状況の把握、情報収集など、この場でどれほど携帯電話が役立ったことか。緊急の災害現場では絶対に必要なものです。

 その後9時には第二次緊急出動を発令し、消防団や自衛消防団、日赤奉仕団、婦人消防隊の応援を要請。しかし、ちょうどお盆休みでもあり、出かけている若者や実家に里帰りしている家族も多く、留守で人手が足りない。その分、お年寄りのみなさんの自発的な協力がありました。普通は避難先である公民館で炊く飯も、各家庭で炊き上げてから持ち寄るなど、その迅速な対応には頭が下がりました。

 街灯の明かりの下、増水し続ける川を見つめ苦悩し続けたときのことを忘れることはできません。このときの増水は、本部の予想を上回る早さであり、それを今、目の前で見ている自分と、この場にはいない本部から出る指示とのギャップ、そのジレンマ。自然災害の怖さでした。小諸や、上田の水位表と照らし、その速度で何分後に更埴地区が水位が上がる…、などという計算マニュアルなど、自然の猛威の前では通用しないこともあるのです。

 夜11時、避難勧告。最初はハンドマイクで呼びかけていましたが、雨で音がかき消され声が届きません。それからは一軒一軒ドアを叩いて知らせてまわり、全員、第一・第二それぞれの公民館に避難してもらいました。戸数が多い地区なので、まずは住民の安否を確かめるため、張り出した紙に自分の名前を記入してもらいましたが、留守宅との区別がつかず、確認作業は大変でした。それでもそんななか、ちょうど翌月の防災の日に向け、緊急災害時の連絡網などを見直し作成してあったので、役員は団結し動くことができました。夜中にレスキュー隊が出て、ボートで救出活動を行った川のような道も、その濁流が引けた後は泥がたまってひどいものでした。床上・床下の浸水による被害に呆然として、怒りをぶちまける人もいました。つらかったと思います。私も水浸しになった畳がずらりと立て掛けられた光景を見たときは、胸が痛みました。

 蒸し暑い日が続いた8月、市の誠意あふれる協力で後かたづけが続きましたが、一方で、今後の対策への要望書・請願書の準備も進めました。その結果、行政が誠意を持って応対し、二度と水害を繰り返さないため、大型排水施設・緊急放送施設の設置が実現しました。被災者の必死な願いが届いたことに本当に感謝しています。

 

教訓
伝えたいこと

お盆中で留守宅が多く、安否確認に時間がかかった。緊急時に携帯電話の連絡網があれば便利では。
◆新しい防災マニュアルが早速役に立ち、それぞれが意識的に責任を持ち、迅速に行動できた。

お問い合わせ

危機管理部危機管理防災課

電話番号:026-235-7184

ファックス:026-233-4332

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