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更新日:2018年12月3日

(6)台風第10号・秋雨前線豪雨

(6)台風第10号・秋雨前線豪雨(昭和43年8月25日~30日)

被害地域
県内全域
被害状況
人的被害(人):死者6/行方不明1/負傷12
住家被害(棟):全壊28/半壊47/一部損壊27/床上浸水134/床下浸水1,456

予防を主とした治山治水対策が必要

下伊那郡天龍村Y.Tさん(当時56歳・消防団員)

 

昼間から激しく降っていた雨の勢いは夕方にさらに増し、お隣の阿南町とを結ぶ道路も早々と通行止めになりました。その日、私は学校の運動会の練習でケガをした子どもを病院に連れて行きましたが、なんとか家までたどり着けたという状況です。

6時半か7時頃だったと思います。大河内川の上流で大規模な土砂崩れがありました。崩れたのは主に南向きの斜面で、道沿いには集落もあります。消防団にも招集がかかり、家を飛び出していったのを覚えています。しかし、すでに道路には10cmほどの水がついている状態で身動きがとれません。「三六災害」のときですら、あれほどの雨ではなかったと思います。とにかく、消防団の力ではなにもすることができないのです。避難を促すにも、どこが崩れてくるか分かりませんから、とにかく近くの安全な場所に逃げるように集落のみんなに声をかけました。

多量に水を含んだ土砂により、家が流出倒壊するなどして、死者・行方不明者は6名に上りました。消防団でも1名亡くなっています。道路は水に浸かり、川にかかるコンクリートの橋も流され、現場に近付ける状況ではありません。倒壊した家の瓦屋根の下から女性の声がするというので、4人で救出に向かいましたが、夜間のこともあり、またいつ付近の山が崩れるか分かりません。やっとの思いでその女性を助け出せたのは幸いでしたが、多くの尊い人命が失われたことを残念に思います。

私の家も、庭や池に土砂が高さ2mほども押し寄せました。今でも当時のことを忘れないようにしようと、土蔵の白壁に残った土砂の跡を残したままでいます。あれほどの災害を経験した方は、当時誰もいなかったはずなのに、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」で、だんだん住民の記憶から忘れ去られていっているように思います。

あの災害を機に、この集落から県外へ移り住む人が多くなったのも事実です。村は災害でさらに過疎が進みました。「命の保障だけはしてくれ」というのがここで暮らす人の切なる声です。ですから治山治水についても、予防治山に重きを置いた政策をとってほしいと思います。山を守り治水機能を高めることも大切ですが、それには山に手を入れることで最低限の生活が保障されなくてはいけません。また、保水機能が注目される棚田も保全していく必要があるでしょうが、ここにも山で暮らす人の生活が関わってきます。自然は大きな時間軸で見れば、侵食を頻繁に繰り返しているはずです。その中で暮らすとなれば、なにをどうして行くべきか、山と川とそこで暮らす人の生活、すべての面を見据えた総合的な治水が望まれます。

また山で暮らす人もそれなりの知恵をもっていなくてはいけません。まず自分が住んでいる場所の地形はきちんと頭に入れておくこと、万一水害や土砂災害があった場合は、沢筋ではなく尾根に逃げること、そういうことを日ごろから忘れずにいることです。

大河原の集落ではこれまでに大きな災害はなかったと伝え聞いています。しかし、小字名には「島」などの地名がみられるように、有史のなかで災害により水に浸かったこともきっとあったはずです。自分の土地についてよく知ることがそこで暮らす責務でもあると思うのです。

 

教訓
伝えたいこと

災害の記憶はだんだん住民の記憶から忘れ去られている。
◆災害を機にこの集落から県外などへ移り住む人がいた。

本当に、思いもよらない出来事でした。

下伊那郡天龍村U.Gさん(当時37歳)

 

台風10号の影響もあってか、一週間ほど降り続いた雨はさらに激しさを増し、雷もものすごい音を立ててとどろいていました。まるで火の玉のように稲妻が山にぶつかり、雨と雷の音を聞きながらその光景を見ていると、不安でたまりませんでした。

29日の8時半か9時頃だったでしょうか。消防団員だった夫は、家や隣近所が安全かどうか裏山のお宮のあたりを見てくるといって家を出ました。心配だった私は「私がついて、懐中電灯で照らすから」と夫と裏山への道を行きかけました。すると、わが家のすぐ上のご主人が声をかけてくれたのです。「女が行っても足手まといになるだけだし、家には子どもも年寄りもいるんだから、あなたは家に居てあげなさい。私が代わりに行ってあげるから」と。

夫のことが気がかりでなりませんでしたが、私はその言葉に従い、家に戻りました。その時です。家に戻って3分もしなかったと思います。突然、大量の土砂が押し寄せ、あっという間に隣の家は埋まってしまったのです。家を飛んで出ましたが、すでに道路も荒れていてどうすることもできません。仕方なく、近所から避難してきたお年寄りたち、私の代わりに夫の供をしてくれたお宅の方たちといっしょに、不安な時間を過ごしました。

10時ぐらいでした。お預かりしていたおばあちゃんが「誰かが呼んだような気がする」と言いました。彼女について行ってみると、付近の沢の中へ落ちた人がいたようです。おばあちゃんが聞いたのは、助けを求める声でした。私は力いっぱい懐中電灯を振り回し、声を限りに助けを求めましたが、道が寸断されているために、すぐに助けには来てくれません。しばらくして、なんとかその方を沢から助け出し、家に連れてきて湯たんぽで体を温めてあげました。集落でお世話になっている助産婦さんを呼んで、手当てをしてもらおうと思ったのですが、呼ぼうにも手段がありません。「がんばって、がんばって」とただ声をかけて、その人を励ますことしかできませんでした。

その人は「まるで原爆にあったようだった」と一言最後に残して、息を引取りました。午前2時頃でした。私のなかで再び夫の安否がさらに心配になりました。しかし、今の状態では夜が明けるまでなんともしようがありません。悶々として眠れぬ一夜を過ごしました。

翌朝、「川の中に足だけ見える人がいる。もしかしてお宅のご主人じゃないか」と私は呼ばれ、現場に駆けつけました。確かに足首しか見えませんが、紛れもなくそれは夫のものです。「頼む、頼む」と周りの方に懇願して、なんとか泥の川の中から出しました。家に帰すことはできましたが、むろん夫はすでに亡くなっていました。

私の代わりに夫ともに見回りに行ってくれた方の姿は見えません。夫の不慮の死に呆然としていた私ですが、その方が今だ行方不明なことに私はたまらない思いでした。「なんとか探さなければたまらない」そんな思いで、近所の人とともに何度も川下まで捜索しました。しかし結局行方のわからぬまま。やるせない思いを抱えたまま今に至っています。

「家族みんなそろっていて、それでみんな死んでしまうなら仕方ない。けれど家族が欠けるのはつらすぎる」当時はそう思っていましたが、周りの人たちの支えもあってこれまでなんとか幸せに暮らせてこれたことに感謝しています。

 

教訓
伝えたいこと

災害後の速やかな復旧で、以後大きな災害もなく、安心しています。

お問い合わせ

危機管理部危機管理防災課

電話番号:026-235-7184

ファックス:026-233-4332

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