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更新日:2018年12月3日

(14)地附山地すべり

(14)地附山地すべり(昭和60年7月26日)

被害地域
長野市
被害状況
人的被害(人):死者26/負傷4
住家被害(棟):全壊55/半壊5/一部損壊9

爆音のなか、山が動いた。

長野市S.Mさん(当時64歳)

 

山が、こちらに向かって落ちてくるわけです。大きな石や土砂の塊が、なんとも不気味な轟音をとどろかせて、すごい速度でこちらに向かってやってくる。足がすくむなんてものじゃない。「このまま死ぬかもしれない」と覚悟を決めるような…、そんな心境の恐怖です。言葉で思い返すより、この身体に恐怖がよみがえります。

確かに前兆はありました。バードラインでズレが見つかり、「山がおかしい」という声も上がって、7月に入ってからは厳重な監視体制が続いていました。私自身も、虫の知らせというのか、小崩落が起こった20日には畑に出向いて、それまで出しっ放しにしておいた鍬やら農具を、家に持ち帰ってきたのです。そのときも、乾燥した土がパラパラと落ち続け、なんだか嫌な予感を抱いたものです。そして夕方からの豪雨と、夜中の崩落。不安がどんどん膨らんで、落ち着かない毎日となりました。

26日、空にはヘリコプターが飛び交い、テレビカメラと取材人が大勢通りに見受けられました。騒々しく、そして物々しい異様な興奮が、団地内に満ちていたように思います。私の家は山側から通りを挟んだ場所ですが、当時、長男家族は一番北部山際に平屋を借りて住んでいました。その年2月に生まれたばかりの初孫の面倒をみるため、家内は長男宅に出かけていたのですが、石がカラカラと落ちる音。それが、やがてゴロゴロと大きな岩の音に変わるにつけ恐怖を感じ、慌ててみんなで家を飛び出し、ともかく避難所へと向かうことになりました。家の外に出た途端、落ちてくる石も見え、ヘリコプターの爆音の下、パニックに陥ったようです。あとでわかったことですが、長男宅には隣のコンクリートの車庫が流されてぶつかり、部屋の太い柱も折れてひどいありさまでした。

一方私は、とにかく家族を、孫を自分が守らなければという気持ちでいっぱいでした。何も持たずに飛び出してきた長男家族のため、せめて孫の布団だけでもと思い、とっさに部屋のカーテンを引きちぎり、風呂敷代わりにしてそれらを包み、あとは20日に用意しておいた貴重品の包みを持って出ました。しかし、やはりどうしてもこの目で見届けなければという思いもあり、避難所から引き返した先で、あの恐ろしい光景を見たのです。土砂がゆっくりと、しかし確実に迫り、じわじわと家をのみ込み、塀を押し倒していくさまを。逃げたほうがいいことはわかっていたのですが、度胸を据えて、この目に焼きつけました。そして、本当の困難は避難してからも続きました。蒸し風呂のような湯谷小学校体育館の不自由な避難所生活。荷物を取りに入った家では、電気が切られた冷蔵庫の中身が腐っていたりと、疲れた身体と心に負担がかかるばかりです。その後借家に移りましたが、狭い部屋には荷物が詰められたリンゴ箱が並び、その上で眠る生活です。避難解除が出た翌年2月、家に帰ってみたら厳冬の中、開きっ放しの蛇口からあふれた水がすべて凍りついた状態で、玄関まで厚い氷が張っていました。トイレは凍みて、便器が割れていました。

忘れられない災害ですが、大切なことも学びました。やはり、地域住民が人任せではない災害対策を行う必要があります。普段から自主的に考えて、必要に応じて自分で動かなければならないと思うのです。私にとっては、貴重な体験だったのだと思っています。

 

教訓
伝えたいこと

「自分が何をしたらよいのか」という意識に欠け、人任せ、行政任せにし過ぎていた。
◆避難所生活は、長期化すると心身への負担が大きい。より詳しい状況説明が欲しかった。

元気でいればいい、その日を精一杯、明るく生きよう!

長野市R.Nさん(当時36歳)

 

当時、わが家は夫と小2の長男、5歳の次男の4人家族でした。念願のマイホームを購入して1年1か月、「ここはすぐ裏が山なので緑のにおいがしていいな…」と家族みんなとても気に入って暮らしていました。

地附山地すべりが起こる1週間ほど前から、夜中に「バキバキ、メリメリ、キーン」と木の根が切れる音が聞こえ、生きた心地がしませんでした。県では24時間監視体制をとっていたので、いつでもすぐに避難できるよう、ランドセルと日常の必需品を準備してました。

災害の起きた26日の午後、「今日はスイミングは行かないほうがいいかも」と近所の方のアドバイスで、息子のスイミングは休みにしました。その方と「ここで心配しているより避難しよう」と判断し、車に息子たちを乗せて家を出た直後、4時58分に地すべりが起きました。もしあの日、ご近所の方の助言がなかったら、私たちは家から逃げ出すことができずにいました。今でもご近所の方にはとても感謝しています。

災害後は帰宅はおろか荷物を運ぶこともできず、子どもは親戚に、私たち夫婦は少しでも正確な情報が欲しくて、湯谷小の体育館で避難生活を送りました。その後、浅川小学校の校庭につくられたプレハブに家族4人で入居し、ご近所助け合いながら過ごしました。

ようやくプレハブ生活にも慣れた10月のこと、保育園へ通っていた次男が、園外保育の散歩中、突然倒れて急死したのです。「朝元気で家を出た息子が、まさか…」。それから2日間の記憶は一切ありません。死因は病気でも事故でもなく急性心停止、つまり幼児の突然死だったのです。「どうして、どうして?どうしてこんなことに…」、怒りのぶつけようもなく、泣き崩れる日々でした。地すべりを体験した不安や恐怖、避難生活での環境の変化、わずか5歳の息子には計り知れないストレスがあったのでしょう。地すべりさえなかったら…、悔やまれてなりませんでした。

当時、団地の中で自然発生的に集った仲間が「共に辛い時期を乗り越えよう!」と飲み会をして私たちを励ましてくれました。皆さんの温かいご好意に後押しされて、少しずつ元気を取り戻しかけた矢先、私は幸運にも3人目の子どもを妊娠、女の子を出産しました。プレハブでの子育ては何かと不自由もありましたが、ご近所の方が「この子は団地の太陽だ!」と言って、代わる代わる抱っこして、娘をかわいがってくれました。

災害から1年9か月、長いプレハブ生活にピリオドを打ち、私たち家族は次男の位牌を抱いて自宅に戻りました。家に帰ってからも次男のことを忘れることはなかったものの、長女の明るい笑顔が私たちの心を和ませてくれました。

災害を体験してから「元気でいればいい、その日その日を精一杯、明るく生きよう!」と思うようになり、実におおらかな気持ちで子育てを楽しむことができました。

昨年、次男の17回忌がすみました。当時のお仲間とは今も、ときどき会ってお花見をしたり旅行に出かけたり、家族ぐるみのおつき合いを続けています。災害は私の人生で忘れることのできない出来事です。しかし、その苦しみや悲しみをを互いに分かち合えるステキな仲間と巡り会えたことを、とても幸せに思っています。

 

教訓
伝えたいこと

家屋の倒壊だけが被害でなく、不安や恐怖、避難生活でのストレスははかりしれない。
◆災害体験により、日々の生活を充実させることの大切さを実感。

お問い合わせ

危機管理部危機管理防災課

電話番号:026-235-7184

ファックス:026-233-4332

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