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更新日:2018年12月3日

(1)東南海地震

(1)東南海地震(昭和19年12月7日)

被害地域
主に県中部
被害状況
人的被害(人):死者1
住家被害(棟):全壊13/半壊73/一部損壊304(『東南海大地震記録集』より)

この世の終わりか…

諏訪市E.Iさん(当時19歳・農業)

 

昭和19年12月7日、戦時中の日本。私はあの日、豊田小学校の近くでもみ擦り作業をしていました。午後1時36分、午後の作業を始めようとしたときでした。西の山のほうからゴーッというものすごい音がして、なんだと思ってみたところ、あちこちで煙のようなものが。そのうちに足元が揺れだして、「地震だっ」と思った瞬間、ものすごい揺れ方をしたんです。もう立っていられなかったが、屋根の下にいたのでここにいてはあぶないと、四つんばいで田んぼのほうに逃げたんです。揺れていたのは3、4分だったと思いますが、それが非常に長く感じるんですよ。田んぼが波を打ち、あぜ道はヘビが歩くようにくねくね曲がっているんです。はいつくばっているから、腹の下がかきむしられると同時に、しがみついている地面がこのまま奈落の底に落ちていくような、そんな感じでしたね。あのときは「自分が死ぬんじゃないか」じゃないんです。「この世の終わりか、地球の終わりか…」と。諏訪は軟弱な地盤に盆地が形成されているので、地震の揺れ方にも特徴がある。地震波が反復反射される、うつわに水を入れて動かすと、水がうつわ中で揺れるでしょ、あんな感じです。

あのときは建物の全壊、半壊が多数あり、確か幼児が1人亡くなっています。人的被害がほとんどなかったのは、当時は防空演習をいつもやっていたから。あの時間帯もちょうど演習が終わる頃でしたから、みんな机の下や、防空ごうに入っていた。おそらく「爆撃された」と思った人も多かったでしょう。また、昼どきを過ぎていたので火を使っているところも少なく、ちょっとぼやが起きただけですみました。

昭和59年の長野県西部地震のときも諏訪は震度4で揺れたんです。東海地震の危険性もいわれていたから「東海地震か」とも思いましたね。東南海地震から40年、当時の記録も記憶もなくなっていくなか、「あのときの地震を体験しているなら調査をしてみないか」という話がきて、それで調査が始まったんです。体験者の会もつくりました。しかし当時は戦争中だったこともあって、県にも市にも資料が何もない。一番被害にあっている私の地域にも、一切ない。ただ、地震の直後、警察署長の名前による布告が残っていました。「諏訪を中心とした地震でしたが被害はごく軽微」。「みな地震におびえることなく生産に励め」、「流言に惑わされるな」、とね。

この調査を通して、諏訪がいかに東海地震に対して危険な地域であるかということがわかりました。念願していた強化地域の指定もようやく実現しました。軟弱な地盤であることを踏まえ、地震に強い建物をつくり、橋や道路や学校や観光施設をつくることが必要じゃないかと思うんです。いざというとき、避難するための道路や避難場所となる公共施設が使いものにならなくてはどうしようもない。

今、痛切に思うことは、「地震教育」の必要性です。日本は世界一地震が多い国といわれていることを認識すること。地震に対してどんな備えが必要か、いざ地震がきたときにはどうしなければいけないか、子どもから大人まで一人ひとりが認識することが必要です。また、うちの地域は大丈夫だからなんて考えるのではなく、隣接する市町村などお互いが助け合う気持ちで地震に備えていかなければならないと思います。

調査をもう10年早く始めていたら、もっと多くの体験者の言葉が聞けたと思いますが、東南海地震の調査が、今後予想されている東海地震につなげることができたらと思っています。

 

教訓
伝えたいこと

地震に対する備えなどをしっかり認識する「地震教育」が必要。
◆他の地域に誇れるような安全な観光施設をつくったらどうか。

お問い合わせ

危機管理部危機管理防災課

電話番号:026-235-7184

ファックス:026-233-4332

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