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更新日:2018年12月3日

(3)台風第7号

(3)台風第7号(昭和34年8月14日)

被害地域
県内全域
被害状況
人的被害(人):死者65/行方不明6/負傷382
住家被害(棟):全壊1,391/半壊4,091/床上浸水4,238/床下浸水10,959

家も稲田も全滅した悪夢

東筑摩郡明科町I.Sさん(当時53歳・常会長)

 

前日からの雨降りで、確かに会田川は増水していました。それでも、まさかこの川がはん濫するとは…。それまでの日常からまったく思いも及ばないこと。それが、一瞬にして魔の川へとかたちを変えました。鉄砲水というのは、本当に怖ろしいものです。突然の不意打ちをくらった感じで、驚きと恐怖で体がこわばりました。

あの日、14日の朝はいつものように、近くの田んぼへ稲の実り具合を見に出かけました。いい具合に一斉に穂が出ている様子を確かめて、「あゝ、今年も大丈夫だ。いい米ができる。」と安堵したことを覚えています。激しい雨は降り続けていましたが、それでも川があふれる心配などまるで必要ないほど、田んぼもあぜ道も、庭も家々も、私にとってはいつもながらの見慣れた風景でした。

それから2時間後。鉄砲水は突然、襲ってきました。不気味な轟音とともに濁流が一気に会田川を下ってきたのです。その勢いのすさまじいこと。会田川橋にぶつかった濁流は、橋の欄干の上にまで水しぶきを上げ、川そのものが暴れ狂ってしまったかのようでした。あっという間に濁流は道や庭に流れ込み、水かさを上げ、やがて物置小屋をのみ込んで、家の屋根に届くほどになりました。小屋に積んでおいた大切な作物は、運び出す間もないまま皆流されていきました。上流からは流木などに混じって、杵や臼、布団や家財道具なども流れてきます。次から次へ、あらゆる物が目の前を流れて消えていきましたが、呆然と見送るしかありません。家そのものが水に流されるのも初めて見ました。当時は土台に石を並べその上に家を建てていたので、水に浸かるとまるでマッチ箱のように簡単に浮いて、そのまま流されてしまったのです。

2階の窓から助けを求める人もいました。その窓のすぐ下まで水がきている状態で、救助に向かう舟が出て、どれほどの人が命拾いをしたことか。私の家も丸ごとだめにはなりましたが、年寄り2人と子どもを含む家族全員、とにかく命があってけがもせず、無事でいられたことは、せめてもの救いです。

しかし、水が引いたあとの無残なこと。残酷なこと。明日から、食べる物をどうしようかという身に。水没し、土砂と石コロだらけになって全滅した田んぼは、あまりに辛い眺めでした。たった数時間前、この目で青々とした稲を確かめたばかりだというのに…。さすがに辛くて、悔しくて涙が出ました。泣きながら、泥だらけの穂をちぎっては米粒を探しました。一粒の米も無駄にはするものか、と思いましたから。しかし、そんな量はたかが知れています。それから、辛さはすぐにそれからの生活への不安に変わっていきました。家族を養うためにどうしたらいいのかと、不安は絶望へと変わり胸を締めつけました。けれどもそのとき、家内が気丈にも私を励ましてくれましてね。私も正気に戻って、また頑張ろうと、前向きに出直そうと思ったわけです。

その後、県への陳情などの成果もあり、耕地整理の復旧も速やかに行われ、農作業も再開することができました。会田川の堤防も護岸工事が行われてから、川がはん濫することも水害もなく、現在に至っています。

 

教訓
伝えたいこと

生活への不安・絶望が、家族の励ましにより前向きになった。
◆とにかく、その日からの食べ物に困った。

あっという間の鉄砲水

東筑摩郡明科町K.Kさん(当時37歳・町会議員)

 

あれは、四賀村方面で降った集中豪雨の影響が大きかったと思います。会田川や潮沢川が増水し、沿岸の住宅や田畑はあっという間に水の中に埋もれてしまいました。当時は山のほうに炭焼き窯が14~15個もあり、盛んに炭焼きが行われていましたから、次つぎに木が伐採されていたことでしょう。それも鉄砲水の一つの要因だったのではないかと思います。おまけに、一気に山から下りてきた濁流には流木が多く、それらが橋げたにひっかかり、水をせき止めて、あふれさせることにもなってしまった。

あの状況では「水がくるぞ」というよりは、「もう水がきてしまった」という感じです。あたりはもう一面、茶色く濁った湖のよう。いや、まだ水しぶきをあげて渦巻く場所もあり、生きた海のようでもありました。暴れる水の勢いに、改めて水の怖さを感じました。2階の窓から助けを求める人もいれば、必死の形相で杭にしがみついたままの人もいました。そのときの生々しい写真が何枚も残されていますが、よくあんな状況で、1人も命を落とすことなく全員助かったと思います。のちに人命救助で表彰されましたが、この濁流の海を舟で助けに向かったのは、普段犀川で漁採りをするために舟を所有していた方々。巧みに舵を操り、助けの手を差し伸べる緊迫感が、今は貴重な資料となった何枚かの写真からも、よく伝わってきます。

とにかく突然のことでしたから、命からがら逃げるのがやっとのことでした。なんとか仏壇と布団だけは2階に上げたが…という家がほとんどで、大切な味噌樽や家財道具、農機具がプカプカ水に浮かんでは沈み流されていく様子を、じいさんばあさんたちが、呆然とした表情で眺めていたのが印象的です。

そしてまた、水が引いたあとの町は悲惨でした。土蔵の土壁がはがれ落ちたり、電柱も引き倒されていました。流失する家もありましたし、怖さのあとに、じわりじわりと、悔しさ、無念さとさまざまな感情がわいてくるわけです。特に田畑など、見るも無残なありさまで、水害は疲れた身体に、いっそう大きな爪あとを残して去っていきました。当時の被害総額は6億5,000万円。町の年間予算が6,500万円の時代です。

私自身、身体をびしょ濡れにしたまま、あちこち飛び回りました。何しろ、どこでも人手がいるわけです。食料の積み上げやら、運び出しやらでよく動き回りました。一段落ついたところで自宅に帰ったら、家内に怒られました。「自分の家のことも少しは考えてくれ」と。言い分ももっともです。やはり心細さもあったのだと思います。

その2年後、昭和36年の6月には、梅雨の長雨から光地区の堤防が220mにわたって決壊し、自衛隊が出動する騒ぎもありました。蛇籠に石を詰め、必死の形相で堤防を守ろうとする町民と自衛隊の上に、ヘリコプターの爆音が響き、町史始まって以来の大規模な水防活動となりました。「町が水に沈んだら、また大変なことになる」と、以前の大水害のことが誰の頭にもよぎって、堤防を守り抜いたのだと思います。男手が出払う一方で、若いお嫁さんたちも総出でおにぎりをつくってくれたのですが、なんだかハンドクリームのにおいがしましてね。苦笑したことを覚えています。

 

教訓
伝えたいこと

お年寄りだけで居住している家は、常に把握しておくことが大切。
◆それぞれにできることで協力すること。その指揮をとるリーダー役も必要。

水害を防ぐには環境重視の新しい生き方へ

中野市K.Aさん(当時30歳・農業)

 

私が住む中野市大俣は昔から水害の常習地で、祖先たちは幾度となく繰り返された洪水から「細引き状の雨が三日三晩降り続けば洪水になる」という教訓をわれわれに言い伝えてきました。

洪水の歴史をさかのぼって見ると、最も古いのは1742年「戌の満水(寛保の大洪水)」です。この年は7月27日から8月1日まで、細引きのような雨がやむことなく降り、中野、上高井の千曲川堰堤をすべて押し流しました。下高井郡誌にはその被害の様子が「牛出村全戸流失し、郡内の人畜溺死数千、生存せる者は更級立ヶ花に避難す」と記されています。

次は1847年、善光寺地震による「弘化の大水害」です。5月8日に起こった善光寺大地震は岩倉山を崩落させ犀川をせき止めたあと、一時に決壊した善光寺平は大洪水になりました。この地震の20日後の5月28日、突然、わが大俣村に千曲川の水が津波のように押し寄せ、村内63戸のうち45戸が浸水し、惨たんたる被害であったようです。

明治になってからは29年、30年、31年と大俣村は3年連続して洪水に襲われ、村民は立ち直りかけては打ちのめされ、食料難から裏山のクリ、ドングリ、カシバミなどの木の実も食したそうです。

そして昭和34年の台風7号、57年の台風18号、58年の台風10号に三大水害が起こり、わが家は3回とも床上浸水の被害にあいました。なかでも苛酷極まる試練を受けたのは昭和34年8月14日のことです。当時私は30歳、夫婦で農業と酪農(牛、鶏、豚)を営み生活の糧にしていました。浸水は集落南側の水田地帯から始まり、出穂期を迎えた稲を一斉に波打たせながら、大海の怒濤のように民家へ迫ってきました。母と子どもを先に避難させ、私と妻は死力を尽くして家具や食料を2階へ運び、最後に泥水の中を泳いで高台へ避難したときは、まるで泥ネズミのようでした。濁流はおびただしい量の生活生産私財を役立たずのゴミにして下流へ運び、家族同様に大事に飼育していた家畜(牛や鶏)までも容赦なくのみ込んでしまいました。

千曲川のはん濫は終戦を境にして以来、頻々と起き、近年はそれが次第に大型化して流域住民の生活を脅かしてきました。頻発する洪水の歴史的経過と実体験を踏まえて私なりに考えたことは、洪水の最大の凶器は利便追求に走る人間生活ではないかということです。昭和30年代からの経済成長の高まりによって、リゾートの乱開発、森林の伐採など、とどまるところを知らない自然破壊が山野の保水力の減退を招き洪水の危険を高め、さらに過疎や高齢化による農林業の衰退が、森林や農地の老廃を促し、洪水に拍車をかけたのではないでしょうか。

いくら築堤が整備、強化されても、自然の荒廃が進行するようでは河川のはん濫は防げません。水害を防ぐにはまず環境重視の新しい生き方へ、急いで軌道修正する必要があると思います。

 

教訓
伝えたいこと

細引き状の雨が3日3晩降り続けば洪水になる。
◆水害を防ぐにはまず環境重視の新しい生き方へ。

お問い合わせ

危機管理部危機管理防災課

電話番号:026-235-7184

ファックス:026-233-4332

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