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更新日:2014年6月24日

水産試験場

ユキマス技術開発雑感

シナノユキマス物語コレゴヌス養殖技術開発の記録

ユキマス技術開発雑感

山崎 隆義

 記録的な大雪の残る平成10年(1998年)1月のある日、坂井村の村営冠着荘での会合が終わり、迎えの車を待つほんの短い時間であったが、玄関ホールの一隅に置かれた水槽で悠然と泳ぐユキマスを見ていると、現場を離れて何年か経て薄れかけていた数々の想いが、水槽のガラス面に浮かんでは消えて暫し感慨に耽った。
 その時に想い出されたのは、ふ化仔にプランクトンを与えるために、寒風の中を塩田の溜池へ毎日のように採りに行ってもらったことを始めとして、ゴム手袋をはめていたのでは魚に触れる感触が鈍ると考えて、氷の浮かぶ親魚池で職員に素手で熟度鑑別をさせたことや、採卵の適期を調べるために、個体別に採卵してシャーレでふ化させていたが、火の気のない実験室で、夜遅くまで山と積まれたシャーレの卵を数えてくれた気の遠くなるような作業のこと。そして、そのような苦労にもかかわらず、何年間も良卵を得ることのできなかったもどかしさ。ついに、多量の採卵に初めて成功して、事業化の目途が得られた感激の日のこと。さらには、新築のふ化場で、ビン式ふ化器から流れ出るふ化仔をいつまでも飽かずに眺めたことや、浅科大池へ祈るような気持ちで放養したふ化仔が、予想を超えた成長をして驚いたこと。さらには、苦労した大池での取揚げ作業等々の技術開発につながる数々であった。
 殊に、開発初期の頃のユキマスは、気難しがり屋で取扱いの難しい魚であり、養殖池で網引きをすればひっくり返り、鱗が落ちて傷がついた。また、水槽に入れると腹を見せて横転し、息絶え絶えになることから、成魚のユキマスを水槽で飼育することなど想像もできなかった。このことから、普通の魚と何ら変わりなく泳ぐ様子を見ると、今更のように、技術の進歩とその間の職員の苦労が水槽に泳ぐユキマスにオーバーラップした。

 ユキマスの技術開発成功のカギは、言うまでもなく職員の苦労の積み重ねであるが、その他にも成功を助けた要因が幾つかある。 第一は、研究の方針決定を職員全員のミーティングで行ったことである。佐久支場の事務室中央には小さなテーブルがあり、そこは皆が集まってお茶を飲み、また情報交換を活発に行う場でもあった。採卵、ふ化場の建設、餌付け方法や浅科大池でのふ化仔魚の飼育等の重要な課題は勿論、日常的な小さな問題についても職員全員で討議したのがそのテーブルである。
 担当者が練った大筋の計画を基にして、実行内容を全員の意見で決めるこの方法は、担当者の考えだけではなく、他の人のアイデアがプラスできること、討議の過程で課題の内容と問題点が職員に十分に伝わること、全休の中で自分の担当する仕事がどの様な役割なのかが認識できること、さらには、自分達で考え決定したことであり迷いや疑念が少ないことなど、人数が少ない試験場で研究を効果的に進めるための戦略の一つであった。
 次は、必ず成功させるとの信念で研究を進めたことである。採卵には何とか成功したものの、事業化にはほど遠い成績が何年か続いて、周辺からは「そこまでやれば十分であり、区切りを付けたらどうか」との声もあったが、不思議と研究の終結を考えたことは一度もなかった。プラス思考で貫いたこと、達成できると強く信じることで仕事が続けられたのであり、仮にあの状況の中で少しでもマイナスに傾いていたならば結果は異なっていたであろう。
 水産庁の指定試験研究で補助を受けていたが、担当官から「先日の報告会を聞いたところ、長野県の研究は成果が期待できないので打ち切りを検討する」との電話を受け、急ぎ上京して説明した。「前年0.1%であった発眼率が、今年は1%になり大きな改善である。あと2~3年で必ず成果が出る」と断言して、余りに低い発眼率に渋る担当官に指定研究の延長を認めてもらった。発眼率が1%の状況で、技術者の立場からはあのような強い主張は出来ないが、必ず成功するとの信念が後押しをしてくれたのであろう。
 また、ユキマス研究が佐久地域で行われたこと、干曲川の水で飼育されたことに地の利を感じる。他の場所、たとえば明科で研究が始められたならば同じ結果を得ることはできなかったであろう。佐久の環境がユキマス飼育に適したことが幸いして、初期飼料のプランクトンに関しては、佐久鯉の知識と技術が生かされたこと、溜池がプランクトンの採集とふ化仔の成育の場に利用できたこと、さらには千曲川の水は冬には氷点近くまで水温が下がり、それが親魚の成熟を促したことなどである。

 ユキマスは技術開発としては苦労の多い仕事であったが、その成功を気長に温かく見守ってくれた県の関係者や、地域の皆さんの後押しがあったことや、水産分野の中で常に話題を提供してきたことなど、県民にアピールして水産を身近な存在にした役割が大きい。

写真:昭和50年(1975年)ころの佐久支場(手前側。奥は佐久養殖団地)。右手は千曲川
昭和50年(1975年)ころの佐久支場(手前側。奥は佐久養殖団地)。右手は千曲川


 

(注) 坂井村:現 東筑摩郡筑北村
    塩田:上田市塩田(降水量が少なく、農業用水の確保のためにため池が多く点在している。)
    浅科大池:佐久市(旧 浅科村)矢嶋にある農業用の溜池


 

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