ホーム > 仕事・産業・観光 > 国際交流推進 > 国際交流 > 国際交流員ホームページ > 国際交流員(中国)

ここから本文です。

更新日:2022年5月19日

国際交流員(中国)

fusan

皆さん、こんにちは。

中国の河北省から参りました封書勤(フウ・ショキン)と申します。令和4年4月1日に長野県の国際交流員として着任しました。

名前は唐代の詩人である韓愈の名言“书山有路勤为径,学海无涯苦做舟” 「書の山においては勤勉を道とし、学問の海においては根気を船とする」から取りました。知識の高みを登り詰めたければ、近道がなく、勤勉に努力し学ぶしかないという意味です。

私の故郷である辛集市は皮革の都として有名です。「辛集高等学校」と「辛集第一高等学校」は名門校で、大学の進学率は高く、辛集人として誇りに思います。それに、辛集の日本語の読み方は「しんしゅう」であり、信州の発音と同じで、なんだか長野県とはご縁があると感じました。

日本へ来る前は出身地の大型国営企業(11年間)、上海の米系企業(1年半)、二つの上海の短期大学(16年間)で勤務しました。主に日本語教育、通訳の仕事に従事していました。学習意欲が旺盛で、「治に居て乱れを忘れず」、在職中に英語と日本語を勉強し続けました。

大学院卒業後は、短大の学科主任になり、学科開設・運営に注力して、国際交流業務も担当しました。日本語関連の各種コンテストで出場学生をよく指導して、上海レベルにとどまらず全国大会でも入賞者を輩出しました。東京の専門学校との提携プロジェクトを主導、夏季休暇に学生を引率して東京での各種文化交流を行いました。そのうちの一つか長野県下諏訪町でのインターンシップでした。学生を派遣したことができて、学生の課外活動を魅力的に充実させました。上海市標準語レベル測試員の資格を取得してからは、中国標準語試験対策講座と標準語試験の採点を担当してきました。

旅行が好きなので、娘が日本に留学すると同時に私は日本の旅行会社に転職し、海外旅行部の中国市場を担当していました。旅行会社に勤めている間に旅行関連の国家資格を取得しました。

好奇心、向上心と探求心を持ち合わせている私の強みは未経験の仕事でも積極的に挑戦できるところです。朗らかな性格で、卓球、グルメ、旅行と読書が好きです。同好会を作って、色々な交流を深めれば良いと思います。同じ趣味の方はぜひご連絡ください。

長野県の国際交流員としてこれまで蓄積した経験やノウハウを活用して、河北省と長野県、ひいては日本と中国の架け橋として、相互理解と友好交流事業を促進できるように精進してまいります。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

                                                                                 河北省の観光名所

        pic01            pic02       pic03

河北省(かほくしょう)は中華人民共和国の省の一つ。省都は石家荘市(せっかそうし)。河北の省名は、黄河の北にあることに由来する。首都北京市、天津市を取り囲んでおり、北東部は渤海湾(ぼっかいわん)に面している。略称は冀(き)。面積は18.88万㎢で、長野県の約14倍。人口は7,461万人(2020年末)で、長野県の約36倍。

雑技や武術の里として知られ、独特な民族風情があり、滄州(そうしゅう)のムスリム文化、琢鹿(たくろく)の炎帝、黄帝、蚩尤の三祖文化、邯鄲(かんたん)の太極拳文化、陶芸文化および安国の漢方薬草などはよく知られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8C%97%E7%9C%81

                                                       pic04

                                                       普陀宗乗之廟(ふだしゅうじょうしびょう)

①承徳避暑山荘(しょうとくひしょさんそう)と外八廟(がいはちびょう)

中国河北省承徳市にある離宮。1994年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

避暑山荘は清の皇帝がかつての首都である奉天(瀋陽)へ行き来する際、立ち寄る場所として87年間にわたり整備された離宮である。その周りには寺廟が周りを取り巻いている。これを外八廟という。外八廟にはポタラ宮をモデルにして建造された普陀宗乗之廟があり、外八廟はチベット様式と中国の様式を折衷した代表的様式として知られる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%85%AB%E5%BB%9F

   pic05    pic06

           山海関                    城壁が海に入る老龍頭

②万里の長城―山海関(さんかいかん)

「天下第一関」――山海関は河北省秦皇島市(しんこうとうし)に所在。嘉峪関(かよくかん)と共に万里の長城で要衝であった。山海関から延びた城壁が海岸から突き出た「老龍頭」(ろうりゅうとう)が長城の東端とされていた。山海関より西側を「関内」と称し、東側の満洲を「関東」もしくは「関外」という。かつて日本の租借地であった関東州や、そこに駐留した関東軍の名称もこれに由来する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E9%96%A2

   pic07     pic08

            清東陵                     清西陵

③明・清王朝の皇帝墓群 ――清東陵(しんとうりょう)、清西陵(しんせいりょう)

清東陵――中国河北省唐山市(とうざんし)遵化市(じゅんかし)にある清朝の歴代皇帝や皇后たちの陵墓群。2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

清西陵――中国河北省保定市易県に位置する。雍正帝(ようせいてい)の泰陵、嘉慶帝(かけいてい)の昌陵、道光帝(どうこうてい)の慕陵、光緒帝(こうしょてい)の崇陵など4人の皇帝陵や皇后陵、側室のための妃園寝などで構成される清朝皇室の陵墓群。2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%9D%B1%E9%99%B5

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E8%A5%BF%E9%99%B5

                                                     pic09       

                                                              中国現存最古の橋――趙州橋

④趙州橋(ちょうしゅうきょう)

趙州橋はまた安済橋(あんさいはし)とも呼ばれ、中国河北省趙県にある隋朝の595年-605年頃に架橋された石造アーチ橋。科学技術水準が極めて高い、芸術イメージが最も素晴らしい。遠くを眺めれば、まるで青竜が空を飛んでおり、三日月が雲から顔を出すようである。橋の上の柵の板、柱頭、浮彫り、みずち、花卉は構図が豊かで、線が流暢で、彫刻が精緻で、彫り方が力強く、風格は古風・質朴・優雅で、変化に富んでおり、イメージも生き生きとして、境地が奥深い。

              pic10

                       木蘭囲場

⑤木蘭囲場(もくらんいじょう)

中国河北省承徳市の北部にあり、かつては清朝王室の猟場であった。「木蘭」は満州族の言葉「硝鹿」という意味で、野生の鹿を狩猟する特殊な方式を指している。清の康熙(こうき)22年(1683年)から毎年一万もの人が狩猟に行き、武術を習得したという。今は国立森林公園に変身し、観光客が休暇を楽しむ理想的なところである。

https://jp.trip.com/travel-guide/attraction/weichang/mulan-weichang-76725/

              pic11

                       北戴河

⑥北戴河(ほくたいが)

河北省秦皇島市の海岸にある国クラスの景勝区。北戴河は渤海に臨み、風光明媚で、気候が適宜である。春に風砂がなく、冬に厳寒がなく、秋は天高く空気爽やかで、内外に名を馳せる避暑地、療養地である。

北戴河会議--毛沢東時代から中国の最高指導部層や引退した長老ら、有識者が毎年夏北戴河に集まり、重要政策や人事などを決めてきた。中国政治に大きな影響力を持っている。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Beidaihe_panorama_from_the_south.jpg

お問い合わせ

企画振興部国際交流課

電話番号:026-235-7188

ファックス:026-232-1644

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?