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更新日:2024年4月1日
■ 最後の藩主は本多助寵(すけたか)で2万石
■ 明治元年(1868年)の戊辰戦争(ぼしんせんそう)では、越後高田藩から旧幕府軍が飯山に侵入し、飯山は戦火に見舞われました。
■ 翌年、助寵(すけたか)は版籍奉還(はんせきほうかん)により飯山藩知事となったのです。
■ そして明治4年(1871年)の廃藩置県(はいはんちけん)により、飯山藩は廃藩となって飯山県となり、同年末には長野県に編入されました。
天領(中野陣屋)
■ 中野陣屋は5万石余の天領を支配する、信州随一の陣屋でした。
■ 代官は通常江戸におり、陣屋には元締、手付、手代、書役その他をふくめて二十人以下の人々が常駐(じょうちゅう)し、行政にあたっていました。
■ 中野陣屋は、王政復古(おうせいふっこ)の大号令のもとに慶応4年(1868年)、尾州御取締中野御役所(びしゅうおとりしまりなかのおやくしょ)となりました。同年8月に伊那県が創設されると、伊那県中野分局となります。
■ 明治3年(1870年)中野県が分置され、中野陣屋も改造され中野県庁となりました。
■ 翌明治4年(1871年)、中野県は長野県に編入されました。
飯山城址 写真提供:長野県観光部
中野陣屋・県庁記念館 写真提供:中野市産業公社 |
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天領(中野陣屋)
・中野陣屋は5万石余の天領を支配する、信州随一の陣屋でした。
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