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更新日:2018年2月27日
今から600年ほど前、光前寺(こうぜんじ)のえんの下で山犬が三びきの子犬を生み、一ぴきをのこして山へ帰っていきました。「早太郎」と名づけられた子犬は、おしょうにかわいがられ、やがてたくましく、すなおでりこうな犬に育ちました。
ある年のこと、一人の六部(※)がはるばる遠州府中(えんしゅうふちゅう 今の静岡県磐田市)から早太郎をさがして、光前寺にやってきました。そして、次のように語ったのです。
「府中にある天神を祭ったお宮では、毎年祭りの夜に娘(むすめ)を神にいけにえとして供える悲しいおきてがあります。わたしは、村の難儀(なんぎ)を聞いて、神の正体を見とどけようと社のゆか下にかくれていると、三匹のかいぶつがあらわれました。
『このことばかりは信州の早太郎に知らせるな』と歌いおどり、櫃(ひつ)のふたを開け、いけにえの娘をさらうと、すがたを消してしまいました。
かいぶつが信州の早太郎という者をおそれていると知ったので、その人をさがしてはるばる信州ヘやってきましたが、どこにもそういう名前の人がいません。たまたま、光前寺の犬の名前が早太郎であることを聞き、たずねてきたしだいです。」
おしょうは、六部の話しを聞き終わると、村人の難儀を救うためならと、こころよくしょうだくし、六部はよろこびいさんで早太郎をつれて、府中へもどっていきました。
いよいよ祭の夜です。六部は村人と語り、むすめの代わりに早太郎を櫃にしのばせ神前におき、ことのなりゆきを見守っていました。
真夜中になり、かいぶつがあらわれ、「このことばかりは信州の早太郎に知らせるな」と歌いおどり、櫃に手をかけると、早太郎はもうぜんとかいぶつめがけておそいかかりました。かみ合うきばの音や、いようなさけび声が入りまじり、やがて一声高く早太郎がほえたかと思うと、森はふたたびしずかになりました。
村人が近よって見ると、年をへたヒヒが息たえており、早太郎も全身きずだらけで、うずくまっていました。早太郎は、村人の手あついかんごを受け、光前寺に送りとどけられましたが、まもなく息をひきとりました。
光前寺の境内にある早太郎の墓(はか)には、今なお香華のたえることがないといいます。
六部=各地をめぐり、書き写した経(きょう)一部ずつをおさめてしゅぎょうする僧(そう)(駒ケ根市教育委員会のりょうかいをえて、駒ケ根市史より要約(ようやく)しました。)
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