更新日:2014年11月1日

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長野県警察50年の主な事件・事故(昭和40~49年)

昭和40年 

松代群発地震警備対策

松代群発地震警備対策

長野市松代町付近を震源に発生した群発地震で、全国初の地震警備実施計画を策定して最高1,400人の警察官動員計画を確立し、11月には県警察本部および震災発生予想地域警察署に「地震警備対策本部」を設置しました。
松代群発地震は、この年の8月3日以降、増加の一途をたどり、11月22日にひとつのピーク(22日の地震総回数2,000回余、うち有感地震223回、震度4が3回)に達し、翌昭和41年4月17日には震度5が3回、震度4が3回、震度3が1回と連続発生しました。昭和42年10月までに、負傷者15人、住宅全壊10、半壊4、一部破損7,857、道路損壊29、山(がけ)崩れ60の被害が発生しています。
昭和43年には被害が発生する地震があったものの沈静化に向かい、昭和45年6月には「地震警備災害対策本部」を解散しました。

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昭和45年 

「70年安保闘争」をめぐる警備活動

「70年安保闘争」をめぐる警備活動

昭和42年の羽田事件に闘争の火ぶたを切った70年安保闘争の警備現場では、警備部隊の警察官に向かって火炎ビンを投てきするなど、死者・負傷者を出す激しいものでした。この警備活動に、長野県警察では多くの警察官を県外に派遣しました。
写真は、県内で同種事案が発生した場合の対処方法を検討するため、大町署で火炎ビンの爆破・燃焼実験を行なったものです。

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昭和47年2月19日 

連合赤軍軽井沢事件(あさま山荘事件)発生・検挙

連合赤軍軽井沢事件(あさま山荘事件)発生・検挙連合赤軍軽井沢事件(あさま山荘事件)発生・検挙

全国警察のローラー作戦によって追いつめられた連合赤軍は、群馬県警に発見された山岳アジトを追われ、逃走を続けていました。長野県警察は、一味のうち4人を軽井沢駅で逮捕しましたが、別荘に潜んでいた5人は捜索の警察官に銃撃を浴びせながら「あさま山荘」に逃げ込み、管理人の夫人を人質に立てこもったのです。これが日本中を震撼させた「あさま山荘事件」の始まりです。
発生から10日目の2月28日に強行救出作戦を展開し、激しい銃撃や手製爆弾にも屈せず「あさま山荘」に突入して人質を無事救出し、犯人全員を逮捕しました。
この救出作戦では、最前線で指揮を執っていた警視庁の内田尚孝警視(警視長に特進)と高見繁光警部(警視正に特進)の二人が凶弾に倒れ、壮絶な殉職を遂げました。また、10日間の攻防で警察部隊に向けて発砲された銃弾により26人の警察官が負傷し、民間人ひとりが死亡、ひとりが重傷を負っています。
この事件から、群馬県下の山岳アジトで繰り広げられた“総括”という名のリンチ殺人が明らかになり、連合赤軍メンバー14人が悲惨な最期を遂げていたことが判明しました。
「あさま山荘」で逮捕された犯人のうち板東国男は、昭和50年8月、活動拠点を海外に移していた日本赤軍が米・スウェーデン両大使館を占拠した「クアラルンプール事件」で、日本赤軍の要求を呑んだ日本政府の超法規的措置で釈放され、現在も逃亡中です。

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お問い合わせ

長野県警察本部警務部広報相談課
電話:026-233-0110(代表)