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更新日:2023年1月30日

水産試験場

大石川土石流による災害について

シナノユキマス物語コレゴヌス養殖技術開発の記録

災害を越えて

大石川土石流による災害について

羽毛田 則生

 昭和57年(1982年)9月12日から台風18号が接近し、大雨となった。そして、14日には千曲川支流大石川(八千穂村)で大規模な土石流が発生した。崩落して流出した土砂は12万立方メートル、ダンプにして約2万台分に及ぶ。
 そして、この濁水により水産試験場佐久支場の飼育池は長靴で渡れるほど土砂で埋り、飼育していたシナノユキマスの半数以上がへい死した。
 この間の経過をもう少し詳細に追ってみると、
午前11時 用水が濁り始める。
ピーク時の濁水は、手ですくうとポタポタ落ちるほどドロドロの状態であり、これまで何回か台風による濁水を経験してきているが、これはどの濁りは初めてであった。精密濁度計による測定では、1万ppm近くまであったと記憶している。
午後3時 シナノユキマスのへい死が始まる。
午後4時 佐久淡水(現在の高柳生産組合)、杉ノ木養殖中央団地等の地下水飼育池または水系の異なる養魚場ヘシナノユキマス親魚の一部を疎開させるため移送する。明科本場や陣内マスセンターヘも移送することを検討したが、かなり魚が衰弱しており長時間の輸送は困難と判断し中止する。
午後6時 濁りは峠を越す。
 へい死したシナノユキマスは、水道水で体表とエラを中心にきれいに洗い、サイズ別に分けて佐久水産の冷凍庫で冷凍処理する。なお、作業は徹夜に及んだが近隣の養殖業者の大半が応援に駆けつけ、人海戦術により処理した。しかし、これだけ苦労したにもかかわらず後日、解凍して商品としての可能性を検討したところ、泥の臭いが抜けておらず、結局無駄であり、徒労に終わった。

 以上が、濁水災害の一日のあらましであるが、問題は単にシナノユキマスのへい死だけで片付いた訳ではない。この日から11月までの約2か月間、毎日堆積した土砂の撤去作業に追われることになる。土砂は、おおまかな所は重機で、細かい所はベルトコンベアーと水中ポンプ等で片付けた。
 なお、死魚は堆積した土砂の中に順番に重なるように並んで死んでおり、また、災害前の黒い土砂と今回の赤い土砂が断層のように見え、あたかも化石の発掘でもしているかのようであった。しかも、腐敗臭は甚だしく、毎日の作業で体に浸み込んだ臭いが容易に抜けず、家へ帰るたびに家族が閉口していたのを思い出す。
 土砂除去作業が一段落した頃、和田村の「かどや自然園」さんのご厚意で、きのこ料理をご馳走になり、これまでの労をねぎらって、この災害はようやく終息した。
 なお、災害の翌々日である9月16日に、ふ化場建設の入札が行われ、生き残った魚を原資にシナノユキマス種苗の大量生産が始まったことは、何か因縁めいているように思えてならない。

 
土砂に埋まった飼育池
   
延々と続いた土砂のかたづけ

 

(注) 八千穂村:現 南佐久郡佐久穂町
 和田村:現 小県郡長和町


 

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