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2011年より女性医師ネットワーク協議会委員をさせていただいています。リレーエッセイを担当することになりまして何を書こうか困っていたところ、“今までどうやって仕事を続けてきたか書けばいいのよ“という先輩のお言葉を頂きましたので、それに従いこれまでの経験を書かせていただきます。
私は平成4年に信州大学医学部を卒業し、直ちに信州大学医学部産婦人科教室に入局しました。現在のような研修医制度はありませんでしたので、大多数の人が医局に席をおいて医局の方針に従い転勤をするというのが一般的でした。私は初めの2年間は大学病院で研修し、3年目からは関連病院に出向させていただき、長野県内の基幹病院では分娩や手術を数多く経験することができました。研修医2年目に大学の同級生であった夫(整形外科医)と結婚しましたが、自分が出産するまではお互いにフルに研修を行うことができました。子供ができるまでは結婚していても女医だからと言って仕事上の制限はないと思います。産婦人科専門医を取得後、大学院4年生のとき妊娠、学位審査を終えて出産しました。
ここから育児と産婦人科医の両立となったわけですが、当時の産婦人科教室には出産を経験した先輩女医がいなかったこともあり、育児休暇という制度が浸透しておらず、出産後2カ月で仕事に復帰しました。研究を中心としたやり残した仕事を終わらせたいという気持ちが強かったこともあり復職しましたが、身体的には相当辛かったことを記憶しています。保育園に預けながら勤務し、帰宅が遅くなる日は保育園のお迎えは夫に頼みましたし、子どもの発熱時には母に助けてもらいました。県外に住んでいた母も頻回に“ヘルプ要請”がでるため松本に住むようになりました。
その後、関連病院に勤務していた他の女医さんが妊娠し、医局から応援を出す必要が生じたため、生後7カ月の子供がいる身でありながら、産休の医師の代理で転勤になりました。その病院では常勤が2人でしたので、交替でon callをしました。分娩で呼ばれると子供を夫や母にお願いして自宅から病院に飛んで行きました。大雪の日の深夜には自家用車を掘り起こせず、長靴をはいて病院まで走って行ったこともありました。
大学に戻ってからは、特に婦人科の診療と研究指導をさせていただきました。男性の先生に比べれば当直の回数は少なくしていただきましたし、周りの方の協力やご理解があって仕事を続けられました。夜は子供を寝かしてから仕事に戻るなどしてなんとかやりくりしていました。研究も継続し、定期的に学会で発表させていただき、時には子供を連れて学会に参加し、発表したこともありました。アメリカの学会で発表した際に知り合ったボスに受け入れてもらえたため米国癌研究所(NIC)に留学することができました。アメリカでも小さな子供を連れて働くことはたやすいことではなく、保育園を確保することも大変でしたし、保育料も日本に比べるとはるかに高額でした。外国で自分のことと子供のことをやりくりするという貴重な経験をしました。その当時は上手くいかないこともありましたが、今となっては子連れ留学だったからこそ体験することができたアメリカ文化の一面もあったと思っています。
帰国後は大学で外来医長、統括医長、講師として、若い女医さんの相談に乗ることも多かったのですが、女医の働き方はそれぞれが異なる環境にあるため一定のルールを作るのは難しいということを実感しました。シングルマザーで頑張っている人や、親の介護をしながら働いている人もいました。近年、全国的に女性医師が増加してきており、医学部における女子学生は35%を占めるようになっています。昔のように男性医師と同じように働くのが基本という体制では育児中の女医には働き続けることは困難です。以前に比べれば、育児休暇をとったり、当直が免除される環境になってきています。さらに、女医支援のプログラムが多く企画されており、今は働く女性医師に追い風の状況ともいえます。出産しても仕事を辞めてはいけないという使命感を持つこと。一人で頑張るだけでなく周りのサポートをうけて、長期間のブランクを作らないようにすることが女医として社会に貢献出来るポイントだと思います。
私自身、医師としても道半ば、母親としてもまだ子育ても終了していない状況ですが、今後も希望を持って仕事を続けていきたいと思っています。今悩んでいる方、迷っている方がいましたらご連絡ください。ちょっとしたことでも構いませんので是非お話しましょう。
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