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更新日:2017年4月21日
■ 最後の藩主は堀親広(ちかひろ)で1万7000石
■ 第10代藩主・堀親寚(ちかしげ)は、水野忠邦(みずのただくに)の天保の改革(てんぽうのかいかく)で老中(ろうじゅう)などを歴任して7000石を加増されましたが、水野の失脚(しっきゃく)に伴い、1万石を減らされました。
■ 幕末期には、水戸藩の武田耕雲斎(たけだこううんさい)の天狗党(てんぐとう)に対して何の対処もとらなかったため、幕府から2000石を減らされました。
■ 明治4年7月、廃藩置県(はいはんちけん)により廃藩となって飯田県に、同年11月には筑摩県(ちくまけん)、明治9年(1876年)8月には長野県に編入されました。
赤門(旧飯田城桜丸御門) 提供:飯田市役所
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